大阪樟蔭女子大学公式サイト 学長だより 北尾悟

平成28(2016)年度 学位授与式 式辞

 平成28年度の学位授与式を挙行するにあたり、大阪樟蔭女子大学の教職員を代表して大学院修了生ならびに学部卒業生のみなさんにお祝いの言葉を述べさせていただきます。学位授与、おめでとうございます。そして、みなさんの学生生活を支えてこられたご家族をはじめ関係のみなさまには、こころよりお慶びを申し上げます。また、後援会、同窓会をはじめご来賓のみなさまにはご多用のところをご臨席賜りまして、厚く御礼を申し上げます。

 さて、先ほど、私は「学位授与、おめでとう」と言いました。大学院生は「修士」、学部生は「学士」の学位が記された『学位記』を本日晴れて受け取りました。この『学位記』は、「それぞれの専門分野において、高い知識と優れた技能を修得した」という証明書です。これを受け取ることで学業の過程のひとつの区切りとなりますが、これで勉強をしなくてよいということではありません。普通は「卒業おめでとう」と言うところですが、「卒業」という言葉を使うと、もう終わった、あとは何もしなくて良いと捉えがちになるので、あえて「学位授与、おめでとう」と表現しました。

 明日からはみなさんは、これまでとは違い、いやこれまで以上に自分の力で生きていかねばなりません。今、そのスタートラインに立っているのです。これまでは比較的狭い世界で同じような考えを持った人たちと接してきた面が強いかと思います。またもしどうしても相容れない人がいた場合、その人を遠ざける、あるいは、相手にしなくても何とか生活することができました。でもこれから進む道には、これまで以上に様々な出来事に遭遇し、困難な場面も経験することになるでしょう。どうしても合わない人と行動を共にしなければならないこともあるかもしれません。

 そのようなときにどうするのか?解は1つではありません。場面々々で違います。何とか対処法を生み出すためには、今まで以上に色々な知識と技能を修得していかねばなりません。社会生活や世の中における勉強は、これまでの学生生活における学びとは違います。これまでとは質の異なる学び、例えば対応力など様々なことを学んでいかねばなりません。

 このことを示している一つの事例を紹介します。現代社会の抱えている問題です。

 昨年は世界でいろいろな動きがありました。英国のヨーロッパ連合(EU)離脱やアメリカのトランプ大統領誕生などその代表だと思います。これらの動きの陰には「フェイクニュース」という問題があります。「フェイク」つまり嘘、偽物の情報、ニュースの影響で、英国のEU離脱の是非を問う国民投票やアメリカ大統領選の投票結果が大きく変わったと言われています。

 例えば、アメリカ大統領選挙では「ローマ法王もトランプ氏を支持」というニュースが大量にネット上に出回りました。もちろん、この情報はフェイクですが、この情報を信じた人が多くいたという事実があります。今は、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)による情報が瞬く間に多くの人たちに伝わり拡散する世の中です。なぜ、多くの人がこのフェイクニュースを信じ、また拡散させてしまったのでしょうか?

 「自分が興味のある情報だけを受け取る人たちが増えている」という指摘をNHKクローズアップ現代の番組で紹介していました。携帯スマホが普及し、テレビのニュース番組を見たりせず、新聞も読まず、ニュースをほぼフェイスブックなどのSNSから知る人が急増しています。SNSで情報を得ることが習慣になると、自分と異なる考えや、知りたくないニュースがだんだん煩わしくなり、設定を変えて自分の好む情報しか届かないようにしたりできます。「いいね」を押したり、シェアしたりすると、良く似た傾向の記事ばかり表示されるようになります。そうなれば、多くの情報を得ているように見えて、実は多様なニュースや意見、考えが得られない状態になってしまうのです。

 フェイクニュースを発信している人たちは、そう深く考えず単にパロディ、軽い気持ちでニュースを作っているようです。彼らからすれば、嘘を真実と受けとめる社会に問題があると思っているでしょう。見出しだけで中身を読まずに想像して拡散する人達がたくさんいる、そして、真実かどうかはどうでもよく、自分が信じたいと思うことだけが目に入る人たちが問題なのだと、見ているようです。

 確かに携帯、スマホは便利ですね。この場のおそらくほとんどの方は今、身につけているでしょう。いろいろな機能があり便利ですね。その便利な機能の1つとして、SNSが挙げられるでしょう。この機能を否定するつもりはありませんが、使い方を誤ると大変なことになることを忘れてはいけません。たとえフェイクニュースを作って発信しなくても、そのニュースに「いいね」やシェアすることで、フェイクを拡散し、あなた方も誰かを悩ませたり、場合によっては傷つけたりと、加害者にもなり得るということを自覚してください。

 では、こうした状況に私たちはどう対応すべきでしょうか?当然のことながら、得られた情報が真実かそうでないかの見極める力が必要です。つまり情報の信頼性をどう見分けるかが大事になってきます。情報源が限られている状況や、自分の好きな、あるいは感じが良さそうな情報しか見ない、という姿勢を改めねばなりません。SNS以外の情報源、たとえば新聞やテレビのニュースなど種類の異なる情報ネットワークを構築することから、まず始めましょう。

 また、自分と意見が違う人とも議論をしましょう。社会人となる皆さんは、違う立場の人たちとコミュニケーションを取らなければなりません。仕事を通して日々、いろいろな人たちと話し合い、こういう考え方があるのだ、こういう見方があるのだ、または、こういう対応方法があるのだ、と考えさせられることになるでしょう。このように話す経験を多く積むことで自分の頭で考え、悩むことが結果として自分自身の成長につながると思います。考え悩むことを継続していると、『自分』というものが自然とできあがってくるものです。『自分』というものが確立されるということは、「自分の考え」がしっかりしているということです。そうなれば、フェイクニュースがたとえ飛び込んできても、これは偽情報だな、と判断し相手にしなくなります。

 あの俳優の渡辺謙さんは、考え悩み続けることができるのが、自分の才能なのかな、と思っているそうです。

 フェイクニュースにいかに対応すべきかについて話をしましたが、これらは世の中をどう生きていくのか、社会生活における指針とも言えるでしょう。

 今一度、繰り返します。

 1つは、情報のネットワークを広げる、多種多様な情報源を持つよう心掛けてください。

 そしてもう一つは、立場、考えの違う人たちと話をする、このことにより考え方のバリエーションを増やし、自分自身で考え悩むことで、自分を確立してください。

 これらを皆さんへの「はなむけ」、といたします。

 今年、樟蔭学園は創立100周年を迎えます。これまでの99年の歴史をしっかりと受けとめ、良き伝統と誇りは守りつつ、現代社会に対応したしなやかな変化も必要です。皆さんが「学んでいい大学だった」と振り返ってもらえるよう、教職員一丸となって様々な改善に取り組み次の100年への礎を築いていきます。皆さんには温かく、そして時には厳しく大阪樟蔭女子大学に関わりを持ち続けてもらいたいと思います。

20170314.jpg 最後に、皆さんが、大阪樟蔭女子大学大学院ならびに大学で学んだことに自信と誇りを持って、大きく飛躍し、様々な方面で活躍されることを心より祈念し、私の式辞といたします。

 みなさん、改めて学位授与、おめでとうございます。

平成29年3月14日
大阪樟蔭女子大学 学長
北尾 悟

読書、できれば長文を読みましょう!

 早いもので2月如月も終盤になりました。寒暖の差が少しずつ出てきて、春近しを感じさせます。私の自宅近くの公園では、梅の花が咲いています。少しずつ季節は動いていますね。

 さて今年度も「田辺聖子文学館ジュニア文学賞」の表彰式が来月に迫ってきました。以前のこの「学長だより」にも記載しましたが、この文学賞は芥川賞作家であり文化勲章を受章された本学の卒業生である田辺聖子先生に関する研究機関、資料館である本学の田辺聖子文学館が主催しています。今回で9回目となりますが、小説・エッセイ・読書体験記の部門で応募数が前回より増えました。特にこれらの部門は、豊富な語彙力と表現力が必要で文章全体の構成力も求められます。中高生の皆さんの創作意欲と能力の高さに驚くばかりです。

 その文学賞作品集の挨拶文にも記載したのですが、読売新聞の「読解力が危ない」というシリーズ記事の内容に触れたいと思います。2月1日の読売新聞に「SNS没頭 長文読まず」のタイトルが記されていました。シリーズ3回目の記事ですが、15歳の読解力の日本のランキングが4位から8位に低下したという国際学力調査の結果が、紹介されていました。ランキングが低下した原因の一つとしてスマートフォン(スマホ)の普及に伴う長文を読む機会の減少を挙げています。スマホの利用時間が増える一方、読書量は減少しています。また、スマホの普及に伴ってソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が若者らの間に急速に広まったことにより、瞬時に短いメッセージを発信するために短文化や省略化の文章表現が求められているという背景も挙げられます。読書量が減少し長文表現力も低下することが懸念されています。
今回の文学賞に応募された中高生の皆さんは、新聞記事に記載のような懸念は関係ないことと思います。若いこの時期に読書を通して多様な考え方や感受性を養い、読解力および表現力を身につけることを、多くの若い人に心がけてもらいたいものです。これまでも「書く」ことを積極的にしてくださいと発信してきましたが、表現力が少しでもあれば「書く」ことを習慣づけやすくなります。その表現力は読書により身につくと私は思っています。

 先日、仕事の帰りに電車に乗った時の光景です。車両の中、視野に入った20名くらいの乗客全員が携帯・スマホを見ていました。もちろん、全員がSNSをやっているのではないでしょう。中には電子書籍で読書をしている人もいるでしょう。両若男女問わず、スマホの普及が読書量の減少に起因していると言われている社会の縮図を垣間見た気になりました。どういう手段をとっても良いと思いますが、読書、できれば長文を読み、いろいろな世界や多様な考えに触れてみませんか?自分自身への反省の意味もこめて・・・

北尾 悟

乗客に日本人はいませんでした

 少し遅れましたが、新年の挨拶を!あけましておめでとうございます。 昨日は鏡開き、松の内は関西では1月15日までですが、平成29(2017)年、新しい年の正月をどのように過ごされたでしょうか?皆さんにとって良い1年となることを祈っています。

 大晦日、NHK紅白歌合戦を久しぶりに最初から最後まで見ました。以前と随分違った演出やらコメディー風になり(ネットではいろいろと言われていますね)、紅白も時代とともに変わっていくんだなあという感想を持ちました。そんな中、久しぶりにTHE YELLOW MONKEY(イエモン)の"JAM"を聴いて、懐かしいやら20年前に初めて聴いたときの衝撃というか、何とも言えない感傷になってしまいました。
 この曲を初めて聴いたのは、車でFMラジオを聴いていた時と記憶していますが、メロディーも心にグッときましたが何といっても歌詞に衝撃を受けました。一番心に刺さったのは『乗客に日本人はいませんでした、いませんでした、いませんでした』のところです。「外国で飛行機が落ちました。ニュースキャスターは嬉しそうに」に続く部分です。普通の感覚なら飛行機事故があったら、日本のニュース放送なので、まず邦人の安否確認が重要ですよね。でもイエモンの吉井さんは何か心にひっかかっていました。実は私も中学生時分から、この『乗客に日本人はいませんでした』のコメントを敢えて言う必要があるのかな?と疑問に思っていました。わざわざ言わなくてもニュース原稿中に犠牲者や負傷者の中に日本人がいれば名前を言うし、いない場合は犠牲者や負傷者が何人というコメントで充分だと思っていました。ニュースを見ている人は圧倒的に日本人が多いのですが、違う国籍の人もいるのですから、敢えて『乗客に日本人はいませんでした』というコメントを付け加える必要はないのではと思っていました。同じ理由かどうかわかりませんが、吉井さんもひっかかっていたんだと歌詞を聴いてホッとしたというか、考えさせられました。『嬉しそうに』に『乗客に日本人はいませんでした』が続くから強く衝撃を受けたとも言えます。

 昨今、国際化、グローバル化が叫ばれています。文部科学省は現在、「スーパーグローバル大学創成支援」事業を推進しています。その主旨は、徹底した「大学改革」と「国際化」を断行し、我が国の高等教育の国際適用性、ひいては国際競争力強化の実現を図り、優れた能力を持つ人材を育成する環境基盤を整備する、としています。この文部科学省の主旨に則り、大学をはじめとする高等教育機関では「国際適用性」のある人材育成が課せられています。この「国際適用性」は、単に外国語が流ちょうに話せるだけでなく多くの内容が求められています。この「国際適用性」のベースというか根底に流れることとして、私はグローバル社会における「発言に対する責任」をしっかり身につけないと、「国際適用性」に必要な事項をいくら理解し行動する能力を身につけたとしても、今後立ち行かなくなると考えています。
 国際社会は近年になく流動化しています。英国のEU離脱、アメリカのトランプ政権への移行、そして反欧米を掲げるイスラム国のテロなど、予断を許さない情勢とも言えます。近隣の東アジアにおいても、北朝鮮の国際社会からの孤立、日本と中国の関係、そしてお隣、韓国ともギクシャクしています。そんな中、グローバル社会を生きていくには、様々な思想や歴史などの背景をもつ国の人々と会話をしてお互いのことを理解しあうことがとても重要になってきます。まさしく地球市民としての「国際交流」が求められているのです。会話の際には自分の発言によって「相手がどう思うか、どのような印象を持つか」について、日常生活の会話と比べものにならないくらい気をつけておかねばなりません。発言する相手の国の思想や歴史背景なども含めて充分に把握した上で、こちらの考えを責任を持って述べるようにしたいものです。また相手の発言に対しては、「なぜ、相手はそう思うのか?なぜそのような行動をするのか?」に関して、相手がその考えや行動につながるきっかけや経緯を認識した上で、対話を進めるべきです。自分の意見や考えをしっかりと持たねばなりませんが、その前提として相手の背景などを理解し、ある意味、相手の立場を尊重して臨むべきだと思います。そんな生易しいことでは激動する国際社会の舞台で通用しない、ど素人が生意気なことを言うな、とお叱りを受けるかもしれませんが、国際社会においてはお互いの主張をぶつけ合うだけでは何も進歩はありません。こちらが主張する内容(単語1つとっても、ワンフレーズの表現であっても)に対して、相手がどう受け止めるか、どう解釈するかをある程度、見極めないと建設的な議論ができないと思います。
 人口減少に伴う労働力不足に直面しつつある日本にとって、国内においてもグローバル化を推進していかねばなりません。推進するにあたって、いろいろな価値観が衝突するでしょう。相手の主張ばかりを取り入れていたら「日本」という国が無くなることもあるかもしれません。相手の考えや行動をすべて受け入れろと言っているのではありません。ただ相手を理解した上で、こちらの譲れない部分はしっかりと主張し相手に理解を求める努力をし続けるという姿勢がとても重要だと思います。

 うかつに『嬉しそうに、乗客に日本人はいませんでした』とは言えなくなるかもしれません。言いたい方はカラオケボックス内でシャウト!してください。私も何回か絶叫したことがあることを正直に明かします。

北尾 悟

3点主義

 早いもので、もう師走。あと少しで2016年、平成28年が終わろうとしています。毎年、月日が経つのが早く感じていきます。10歳の時の1年は今まで生きてきた年数の10分の1ですが、50歳だと50分の1になります。当たり前ですよね。だから年々1年の割合が小さくなるので、月日が経つのが早く感じるんだと自分勝手に思っています。

 先日、大学食堂で昼食をとっている際に、ある学生から声をかけられました。「先生の"たより"読んだよ!(タメ口で言われるのはつらいが、読んでくれていることは素直にうれしい)自分も文章を書き始めているけど、書きたいことが多すぎて、まとまれへんねん。どうしたらええの?」と。いきなり言われたので返答に窮しましたが、「書きたい項目を箇条書きにして言いたいことのランキングをつけてみたら」とその時は答えました。そうすると学生は「ふーん、わかった」と去って行きました。一瞬のことだったので、こちらもうまく答えられたか心配になったので、しばらく考えてみましたが、学生の質問したことに対して答えていないなあと気づきました。というのは書きたい項目を洗い出し、優先順位、つまりランキングをつけるまでは良しとして、では、そのあとどうするの?あるいはどうまとめて文章を書くの?ということです。

 私が思うに、一つのテーマで文章を書く場合、内容的にせいぜい「3つ」までだと思います。「3」というのは意外とバランスが良いのでは?と最近、思っています。日常生活でも例えば、「大・中・小」や「上・中・下」を使いますよね。また本学園の建学の精神の中に盛り込まれていますが、「知・情・意」という3文字熟語もあります。仕事の場面でも何か問題解決をしなければならないとき「3つの要素」を考える、そして議論を展開する場合に3つの要素のどれか1つをきっかけに考え、別の要素に考えを広げ、最終的にもう1つの要素にたどりつく。そのようにすれば物事の理解が深まり問題解決へと導くことができる、と新入社員のときに会社の上司に言われたのを覚えています。その当時は、その内容をよく理解できずにいたのですが、最近、このことをよく思いだすようになっています。その当時は研究開発の壁にぶつかった際の解決策としての話だったのですが、3つの要素を取りだし、それらを関連づけながら問題解決へ導けということだと理解しています。このことは文章を書く際にも当てはまることだと思います。

 感覚的ですが、三角形をイメージしてください。バランスが良いと思いませんか?2つだと直線的(当たり前か?)で薄っぺらい感じがするし発展的ではないように思えます。逆に4つでは、ちょっと多すぎで焦点が絞れず散漫な感じがします。3つが良いように思えませんか?文章に表す際も3つのポイントをまず頭に浮かべて、そこから関連づけ、場合によっては一つに絞っていけば、論理展開がしやすくなるのではと思います。いかがでしょうか?

 今回は書きたいことが多すぎる学生さんの質問に答えるために、このような文章を書きましたが、書く項目や内容が明らかな場合は、もちろん、関係ないことです。ただ論理展開する際や文章全体の構築を考える際には、この「3点主義」が少しは役に立つのではと思います。

 まあ、でもあまり難しく考えず、不細工な文章でも気にせず(この"学長だより"がそうだと自覚)、「書く」という表現をしてみましょう。頭の中のモヤモヤがスッキリするかもしれませんよ。

 また、しつこく同じ言葉で締めくくります(3回目ですね。もうこれで最後にします)。 トレーニングウエアも栄養ドリンクの準備も要りません。「書く」ことを気楽な気分で始めてみてはいかがでしょうか!?

北尾 悟

再び「書く」ということ

 10月も半ば近くになり、朝晩涼しくなり、そんなに汗をかかなくてよい季節となりました。9月末から本学も秋期が始まり、キャンパスも賑やかです。卒業回生にとっては卒業研究論文や作品の完成を気にする時期になろうとしています。指導教官と連携を取り、より完成度の高い論文や作品の作成に取り組んでもらいたいと思います。

 6月の「学長だより」で書きましたが、今回も「書く」をテーマにしたいと思います。6月では私の拙い経験を紹介しつつ、まずは「書いてみる」、「書く」ことにより徐々に自分の頭の中が整理され主張点が明確になり相手にも理解してもらいやすい、という内容を記したと思います。

 学生には講義の際に私は、講義内容を理解(語句の暗記も同じ)するには、「書く」ことを薦めています。「書く」という作業を通して、「手指を動かす」「書いた文字を見る」という人間の感覚を通して、書いた語句や文章を脳内に情報として伝達し印象強く記憶に残るからです。この『動かす』『見る』という動作は各々、運動神経や視覚神経を通して脳内にインプットされます。これらに加え、もし周りに迷惑がかからないのなら、書いた内容を口に出して喋ってみることを行えば、さらに理解度(暗記度も?)が向上するでしょう。つまり先の二つの感覚に、口腔関係の筋肉を使うことでさらに運動神経と喋った言葉や文章を聞くことによる聴覚神経からの情報も加わるからです。4つの刺激を脳に与えることにより、より理解度が深まると思います。もちろん、記憶力アップにもつながります。あんまり大きな声は出せないとしても、ブツブツ書いた内容をつぶやくことで、自分の頭の中が整理され、文章の推敲も進んでいくことでしょう!

 とにかく、まず「書く」こと。行動を起こすことが大事です。これは今回の書くことに限ったことではありません。最近の学生を見ていると、あーでもない、こーでもないと悩んでいる人が多いように思えます。悩むこと自体は悪いことではないのですが、悩んでばかりでなかなか一歩が踏み出せない人が増えてきていると思います。悩んで行動に移せない要因はいろいろあると思います。最近はいろいろと情報のネットワークが発達して簡単にいろいろな情報が手に入ります。おそらく学生の最たる情報源はスマホでしょう。得られた多くの情報を的確に自分で処理できれば良いのですが、なかなかそうはいかない。情報洪水という言葉があるように、まさしく現代社会は情報過多の状態になっています。現代人はいろいろな情報にある意味、振り回されるきらいがあります。偉そうに記しているこの私でさえも、判断を下さなければならない時に情報が多すぎて、果たしてどうしたもんだろうか?と悩むことがあります。

 そんな時、どうするか?私の場合、ある一定に期間を自分で区切って、つまり期間を限定して情報収集の時期とし、その後は一切、それらに関する情報を求めないようにします。そして、その時までに得られた情報を基に、多様な意見や考え方を「書く」ことにします。中には相反する情報・意見もあるでしょう。最初は、グシャグシャで構いません。そのうち何度か書き直していくうちに、だんだんと論点が見えてきて自分の考えがまとまってきます。その際に時々、ブツブツしゃべったりしています(自宅でしかしませんが)。一応、まとめができたら(あんまり完璧を求めない)、ゴーです。行動に移してみます。

 ですから、「書く」という行為は何も文章力アップだけに限定するものではなく、生活全般の行動力にも大きく寄与するものだと個人的には確信しています。

 また、同じ言葉で締めくくります。
トレーニングウエアも栄養ドリンクの準備も要りません。「書く」ことを気楽な気分で始めてみてはいかがでしょうか!?

北尾 悟

カレンダー

検索