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樟蔭レポート

桜の樹のもとで花を愛で、初蝉の声を聞いたことを誰かに伝えたいと思っているうちに、夏山のシーズンを迎え、そして虫の音に秋の訪れを感じたのもつかの間、近畿の紅葉は、終わりを告げようとしています。空から雪片が舞い落ち、やがて大地を白く染める日はすぐそこまでやってきています。
壁に残るカレンダーも残すところあとひと月。人は一体いつから「時」を意識し始めたのでしょう。種まきの時期を知るため、河川の氾濫を予知するため、それとも戦さのため。いろいろな必要に迫られてのことでしょうが、暦の起源は、起源前、古代バビロニアの太陰暦にあると言われています。月の満ち欠けを基にした太陰暦では、新月から次の新月まで約29.5日、これがひと月でした。しかし、これでは地球が太陽の周りを一周するのに約365日要しますので、29.5日×12=354日で、11日足りません。このまま放置すると季節との間に徐々にずれを生じ、冬が夏になるというとんでもないことになってしまいます。そこで、3年に一度「閏月」を設けて、季節との一致を図りました。四月が二度あったり、五月が二度あったり。誕生日が2回あるなどと喜んではいられません。閏月の設定が、地域によって異なっていたのです。
そこで、暦の統一を図ったのが古代ローマ帝国のユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)です。ローマで使われていたエジプト歴(太陽の運行が基準の太陽暦)を支配地に広めたのです。紀元前45年、ユリウス暦です。その後、ヨーロッパのキリスト教世界では、16世紀にローマ法王グレゴリオ13世によって、暦はさらに精度の高いグレゴリオ暦へ改暦されました。現在の暦です。日本では、ちょうど太陰歴と太陽暦をミックスしたような「天保暦」と呼ばれる太陰太陽暦を明治5年まで使っていました。グレゴリオ暦よりも正確だったと言われています。庶民にも浸透していた「天保暦」をわざわざ「グレゴリオ暦」に改暦したのは、やはり文明開化の一環、欧米諸国への仲間入りであると同時に、一説に、閏月がなくなることで、月給の支払いが12ケ月で済むからだという話もあります。
ところで、農業であれ、災害対策であれ、戦であれ、今をとらえ、未来を考えるために生まれた暦を眺めて、人は一体いつから「時」を懐かしむようになったのでしょう。樟蔭はまもなく創立100周年を迎えようとしています。先日は、「樟蔭園遊会」が催されました。今年の四月には、新体育館や新校舎披露の「見学会」がありました。いずれも、学園はたくさんの卒業生や旧職員の皆様の懐かしい顔と声にあふれました。それにしても、在学当時の教室での語らい、グランドでの汗、図書館での涙、遠足や修学旅行での笑い声はどこへ行ってしまったのでしょう。樟蔭百年。しばらくお会いしていない人がいます。逢いたくても、逢えない方もいます。しかし、あのとき感じた喜怒哀楽とあの空間の空気は決して消え去るものではありません。そのことだけは、間違いなく、はっきりと申し上げられます。一年の終わりも近づいたこの時期、暦について考えてみました。                                             中学校2年生担当 松尾隆之
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今年また残りし壁の暦あり交せし想い何処に行けり