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樟蔭レポート

前回の樟蔭レポートで、樟蔭中学校旧職員の同窓会の様子を書かせていただきました。ご高齢にも関わらず皆さま元気なお顔を見せていただき改めて自分を育てていただいた先生への感謝の念が沸き起こってまいりました。今回は残念ながらすでにお亡くなりになられた先生の中から私がたいへんお世話になった先生の思い出を書かせていただきます。

西村 啓一郎先生・・・私が赴任したころは教頭先生でしたが、その後樟蔭中学校の校長先生を長く勤められました。長身の英語の先生でスリーピースのスーツを着用されたお姿はかっこよかったです。見た目はクールですが熱く語られる先生でした。

築山 キク子先生・・・生徒はもちろんのこと、先生方にもたいへん恐れられていた国語の先生です。持たれるクラスはB組と決まっていました。お心はたいへんお優しい一本筋の通った先生でした。(私はよく叱られておりました。)

守津忠義先生・・・京都から通勤されていたやさしいけれど情熱いっぱいの先生でした。今では考えられませんが生活指導主任をされながら中学3年生の学年主任と担任を兼任されておられました。勤務時間後よく『丹波屋』へビールを飲みに連れて行ってもらいました。

中松 加代子先生・・・限りなく明るくエネルギッシュな技術家庭科の先生でした。

私とは同じ学年を担当することが多く、コーラスコンテスト、校内大会(今の球技大会)全レク(運動会)、演劇コンクール(3年)など数多くのコンクールで優勝することに人生をかけておられる(?)先生でした。(いつも私のクラスは中松学級に負けていました。)

横井川 菊江先生・・・生徒・職員の健康のため毎日夜遅くなでまた、休日も休みなく保健室で働かれる保健の先生でした。(当時は職員の健康も養護教員が担当していました。)

保健室でよくコーヒーを御馳走になりながら、学校保健の本来のあるべき形を語っていただきました。

中沢 妙先生・・・私の新任当時 年配の数学の先生で、御主人を早く亡くされ女手一つでお子様を育てられた明治女そのものでした。(迫力がありました。!)私が勤める前の春休みに下駄をはいて職員室に入ったら「これからは学生じゃなく社会人になるのだから靴を履いてくるのですよ。」と諭してくださいました。

 

書かれている内容は今の常識からするとおかしいこともありますが、時効としてお許しください。改めて先生方のご冥福をお祈りいたします。

数学科 永井でした。