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樟蔭レポート

高校野球地方予選の真っ最中である。晴れの代表校となり、夢の全国大会、甲子園出場の切符を手にした学校もぞくぞくと決まっている。野球の試合に限らず、さまざまな競技や演技種目おいて、試合や演技の前後に、相手チームや審判、そして応援者に対して「よろしくお願いします」「ありがとうございました」と挨拶を交わす。よく目にする光景である。分かりやすい。確かにどんな試合であれ、コンクールであれ、相手がいなけれれば大会は成立しない。大会が成立しなければ、自分の技術向上も望めない。同様に、審判や大会運営の人たちがいなければ、大会は成立しない。それだけではない。そこに至るまで、技術指導を受けた監督やコーチ、ともに練習した仲間、物心にわたり自分を支えてくれた家族。様々な人々の理解と協力と援助がなければ、競技生活そのものがなりたたないのである。競技前後の挨拶は、単なる儀礼的なものではない。これまでの自分を育ててくれた周囲の人々への「感謝」を知らなければ、優れた選手とは言えない。

さらに、練習の前後に誰もいないグランドや練習場にまで礼を行う選手もいる。いったい何のために。賢明な方はもうお気づきであろう。グラウンドにしろ、練習場にしろ、それらは始めから自然に存在したものではない。放っておいてその環境は維持できない。グランド整備をする人間、床を雑巾がけする人間、練習道具を用意する人間、やはりそれらの人たちがいなければ、練習そのものができない。競技で使用する道具も同じ。道具を大切に扱う選手は「もの」を大切にしているのではない。すべては、その練習場や道具の後ろにいるたくさんの人への「感謝」を知っているのである。それを知らずに、自分の才能や努力だけにうぬぼれている者は、優れた選手とは言えない。高校野球の地方大会、一回戦で敗退したチームにも優秀な選手は大勢いる。そして、これは、スポーツに限った話ではない。(中学主任 松尾隆之)