今回の講演会では、「職業」をもつ女性に仕事を含めたこれまでの人生について語っていただいた。単なる苦労話でもなく、皮相な職業講座でもない。それぞれ
が一人の人間として、女性というジェンダーをどう生きてきたのか、「職業」というフィルターを通した現在進行形の語りである。今回の講演の主旨からすれば
蛇足ではあるが、3人のお話に共通する問題を取り上げて整理しておく。
現代における「女性と労働」の問題について語ることは、現代を生きる女性のライフスタイルを語ることに等しい。なぜなら女性の「労働」は、実態として、
会社に代表されるような「勤め」に限定されないものだからである。育児や炊事・洗濯といった日常生活に埋めこまれた家事労働は、報酬の対象とはならない
「シャドウワーク」という形で女性の「無償労働」を暗黙裏に前提としている。つまり「働く女性」という言葉には、本来、「外で、かつ家庭内で」という前置
きがつけられるべきものなのである。
また、そうした女性役割への期待は、今回の講演でも触れられたように、家庭の外でも共有されている。「普通の女性」は職場では下働きを担当し、適齢期に
なれば寿退社、あとは家庭で育児に専念し、子どもに手がかからなくなればパートで家計を助け、夫の被扶養者として一生を終えるもの、という「標準コース」
を念頭に社会システム自体が構築されている。 |
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ジェンダーによる職種・待遇差別や、結婚へのプレッシャーやなどがその例である。
しかし、不況による失業の増加や終身雇用制度の見直しが進む今の社会において、こうした「標準コース」システムはすでに説得力を失いつつある。「一家の大
黒柱がクビになれば、家族全員が路頭に迷う」という心配は、もはやたいていの人々にとって他人事ではないだろう。また、家族・結婚観の変化も見逃せない。
つまり、様々な面で「標準コース」は従来の社会システムとの整合性という合理性の根拠をもはや失っているのである。
講演者には、こうした状況の中で一人の人間・女性としていかに生きてきたか、という部分に焦点をあてて話をしていただいた。こうした講演は、ともすれば
エリート女性の特殊な話として受け取られてしまいがちであるが、シャドウワークに代表されるジェンダーバイアスの問題は全ての女性に関わる問題であり、女
性として生きていく上で否応なく主体的な対応を迫られ続ける問題である。職業上の成功だけではなく、彼女らが何を見て、何を感じ、何を考え、どう判断し、
そして実際にどのように行動してきたのかという点にこそ注目していただきたい。聴講者ひとりひとりの現状に照らし合わせ、糧にしていただければ幸いであ
る。 |