第4回 学長対談
【北尾学長】 本日は、よろしくお願いします。
まず6月に文字活字文化推進機構の理事長という大役を無事果たされたこと、長い間の活動にご尽力されたこと敬意を表します。今のお気持ちをお聞かせください。
【肥田先生】やっと今日を迎えることができました、待ちに待った80歳です。
30年間の東京暮らしで、封印していたことが多かったので、今は楽しいことばかりです。
【北尾学長】 解放感からくる楽しみを見つけながら日々生活されているところでしょうか。
少し前まで知らなかったのですが、薬科大学を卒業され、薬剤師の免許を取得、大学卒業後、薬剤師として企業に、薬局経営もされたと聞きました。そのかたわら童話創作、童話作家の道に進まれたきっかけをお聞かせ願いますでしょうか。
【肥田先生】子ども二人が、その時すでに生まれておりまして、新聞紙上にたまたま児童文学者の花岡大学先生の「幼年童話文学懇話会」旗上げのニュースが出ていました。早速入会したのですが、恥ずかしいことに、私、宮沢賢治も、〝いやいやえん※1〟も知らなかったんです。
ところが、主宰者の花岡先生は本当にほめ上手で、最初の作品をすごくほめてくださったのです。それで、これなら書けるんちゃうかなと思いあがったんですね。
10年たってやっと処女出版。私は、38歳になってました。
【北尾学長】童話の世界、要するにクリエイティブでアート的なことから、なぜ政治の世界に入られたのかなと思いまして・・・。もちろん、政治もクリエイティブかもしれませんが。
【肥田先生】人前で話せない位、気が弱かったんです。私。48才になったある日、参議院の比例区名簿に、絶対当選させない順番に「童話作家 肥田美代子」の名前を貸してほしいといわれたんです。ところが、土井たか子さん※2のブームもあって通ってしもたんです。当の私が一番びっくりしました。「えらいこっちゃ、どうしよう・・・」と。
【北尾学長】参議院の比例区は名簿順でしたね。そのころ、新しい風を感じ、女性の活躍を念頭に投票したような気がします。
【肥田先生】当時社会党は、労働組合のひとがいっぱいいて。その中に童話作家がいるのも、目新しいだろうということだったんでしょうね。
【北尾学長】政治家になられてからは、子どもの未来を明るくしようと色々政策を考えられて、法律制定などの活動をされたと思います。そのあたりの想いはどうだったんでしょうか。
【肥田先生】ちょうど当選した翌年(1990年)、国連で〝子どもの権利条約〟が採択され、子どもの権利について勉強するようになりました。子どもの意見表明権が日本では無視されていることもわかったんです。また、子どもの活字離れ本離れも相当ひどかったんです。学校図書館が全然機能していなかったんですから。
【北尾学長】確か、〝学校図書館法〟という法律のことですね。
【肥田先生】〝学校図書館法〟ができたのが1952年。その当時は子どもの読書が大事であるという認識があったようです。普通なら学校内施設のために1本の法律を作るのは、ありえないです。
あの頃のひとは偉かったと思います。〝学校図書館の手引き〟ができたにも関わらず、法律に当分の間、司書教諭を置かなくてもいいという附則をつけたため、無駄に年を過ごすことになってしまいました。その間何度も、法律改正の動きもあったんですけど、叶わなかったですね。
【北尾学長】当時戦争に負けて、国力を何とか上げるというか、日本の方向性の議論が盛んで、20代・30代の方はすごい努力をされていましたよね。
私はその恩恵をうけてぬくぬくと育ってきた世代でして、学校の一角に図書館(図書室)があったという記憶ぐらいで・・・
【肥田先生】生駒山のふもとに小学校がありましてね。山の真正面なんですよ。2階に学校図書館がありました。今でもあると思いますよ。ーあれが私の学校図書館の原点です。
【北尾学長】活動のベースはやはり、童話・文字・言葉・表現などかかわった文化をしっかり守り伝えたい、子どもの図書館、子どもの未来に向けて現状のままでは厳しいので何とか変えていこうという想いだったのでしょうね。
【肥田先生】そうです。その通りです。
この国に、国立の子ども図書館がないことは絶望的でした。国立の国会図書館はあるけど18歳以下は入れない、32万冊もの子どもの本があるというのにです。仲間と一緒にミュンヘンの国際児童図書館を見に行ったんです。すごいのがありましたね。
帰国後、上野の図書館が東京都から国へ移管されるとの情報が入ったんです。すっ飛んでいったのが参議院のボスである自民党の村上(正邦)さんのところですよ。〝国際子ども図書館設立議員連盟〟を作り、会長になってもらいました。私は事務長です。発想してから5年、あんなに早くできるとはだれも思っていなかったですね。それと同様に、『子どもの読書活動の推進に関する法律』も作りました。
ところがこの図書館には、最初の頃、国会図書館の館員がえらく反対しましてね。子どもにサービスなんて、とんでもないというわけです。でも反対を押し切った形で安藤忠雄さんに設計を頼みましたら、〝よし!やったるわ。〟と気軽に返事をしてくれたんです。うれしかったですね。
【北尾学長】肥田先生はご謙遜されていますけど、ご自身の努力はもちろんされつつ、周りをうまく巻き込んで、人のつながりを持たせながら推進する。政党の枠超えて、村上(正邦)先生を巻き込むなんですごいですね。
【肥田先生】今でも、村上(正邦)さんを神様みたいに思っています。残念ながら、先日お亡くなりになりましたけど。
【北尾学長】真摯な気持ちで重要性をしっかりと訴え、そのことが相手に伝わった、先生の想いや考えに政党を超えて共鳴されたことでしょうね。
【肥田先生】当時は、野党の1年生議員です。10年・20年かかってもできないと思っていたものが5年でできたものですから、自分が一番びっくりしたんです。 忘れられないできごとです。
【北尾学長】前例、慣習に捉われすぎると、なかなか新しいことできませんね。まず、自分の考えをしっかり持って共感する仲間に伝えていく、そうすると大きな輪になり、壁をぶち破り新しいことを成し遂げる、特に本学学生、若い世代の人たちに伝えたいですね。
若い世代は躊躇というか、〝どうせでけへんわ〟と思うひとが多い気がしますから。
【肥田先生】自分を信じて突っ走ることですね。結果は、後からついてきます。
それから、「自分がやった」と言わないことですよね。それを言い出したら、だれもついてきてくれない。おそろしい世界です、あそこは。
【北尾学長】参議院6年衆議院9年、合計15年でしょうか、色々法整備とかで大変なご苦労があったと思います。政治家時代で一番印象に残っているのはなんでしょうか。
【肥田先生】読書関係の2本の法律が出来たことです。読書年の制定もできました。私の部屋には優秀な政策秘書が居りましたので、とても助かりました。
【北尾学長】叙勲(旭日中綬章※3)も受けられました。おめでとうございます。
【肥田先生】あれは、恥ずかしかったです。みんなを代表して天皇にあいさつを述べないといけなかったんです。困りましたよ。一言でも間違えたらだめだと言われて、そんな殺生なことね。とっても緊張したけど今となれば、懐かしいです。
【北尾学長】ところで、本学教授(現在は客員教授)就任から約10年になりますが、そのいきさつと樟蔭学園に対してお持ちのイメージなど、聞かせていただければありがたいです。
【肥田先生】当時学長だった森田(洋司)さんが奈良高時代の同級生で、なんとなく親和性を感じてましたね。また昔私の住んでた生駒あたりの人は、〝樟蔭はお嬢さん学校〟と思ってたんですよ。今でもそうでしょうけど。だから、私が進めている言葉、読書などと、どっかで結びつくと思いながら繋がらせてもらいました。読書は、言葉の力をつけるための最大の手段ですが、本学の学生には読書するイメージがあったのです。
【北尾学長】実践の場として大学があり、結果として絵本館設立に繋がったということでしょうね。
肥田先生は、6月まで文字・活字文化推進機構の理事長、財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)も関わっていらっしゃいました。これも議員を辞められた際、これまでのご活躍でお声がかかり、自然な流れで歴任されたということでしょうか。
【肥田先生】言葉の力を社会の礎にしようと、文字・活字文化推進機構という新しい公益財団を作ったんです。出版と新聞と一般企業と3者を集めてね。
そして、自分がかかわってきた〝文字・活字文化振興法〟と〝子どもの読書活動の推進に関する法律〟の実体化を目指そうと思いました。あの法律があったおかげで、制度・政策で実体化できたものがいくつもあります。
【北尾学長】文字・活字文化推進機構は、資生堂の福原会長をはじめ錚々たるメンバーの名前が連なって、名前を貸すだけじゃないのがすごいと思います。みなさん関わって・・・
【肥田先生】一番の恩人は、読売新聞社の主筆の渡邉 恒雄さんです。
国会で再販制度に関する議論が起きた時、彼は国会にも連絡をくれて応援してくれました。それ以来の付き合いです。
また、資生堂の福原(会長)さんは〝(機構の)会長になってください。〟と直接お願いにいきました。あの頃は、企業のトップが若者の言葉の不足に悩みをかかえていたのです。
【北尾学長】それも先生が熱意をもって、趣旨を訴えたことが大きな要因ですね。今でいう多様性、色々な立場のひとが一緒に、文字活字の文化を何とかしようと、ひとつのまとまりになって、同じ方向で進んでいくとこがすごいなって思います。
【肥田先生】うまくピタっと合ったんでしょうね。あのころ社会全体が、それぞれの業種で悩みを持ってたみたいです。言葉の力を持たない若者をどんどん送り出している社会はやはりおかしいのです。
【北尾学長】小さい子どもが絵の力も借りながら想像力を高めて、文字・文章に対しての親近感を持ち成長していくうちに長文・長編小説、論説文を読むことに繋がっていけばいいと思います。
ちなみに今はスマホ・携帯の文化ですが、どういう風に思われますか。
【肥田先生】あれは、美しくないですね。電車に並んでスマホを見つめている人をみると、情けなくて、恥を知れといいたいです。今年一番の問題はデジタル教科書です。一人一台タブレットを渡すことが、4,000億円の産業になるんですよ。教育を経済の論理で考えてはいけないのです。汚いです。文科省もしっかりしてほしい。先日、読売新聞社の山口現社長、阿刀田高さんに「活字の学びを考える懇談会」を発足してもらいました。議論を大いに盛り上げてもらいたいと思っています。
【北尾学長】美しくない、汚いですか・・・そうですね、やっぱり文章表現も乏しく、ものの見方や考え方が短絡的になる、自分で確固たる表現力・語彙力を持てなくなると思います。
大学では、出欠管理などに活用していますので、スマホ、携帯、タブレット等持たざるを得ない面もあります。ただ表現力・語彙力については日常生活を送る上で必要だと思います。そのため学生には、授業後レポートを課したり、レポートが苦手な学生に一人ひとり専任教員が親切丁寧に指導しています。
今はちょっと調べたら答えがでる、自分のことでも深くものを考えないから他人に言われたらなびいてしまう。その短絡的な考え方・流れに違和感を感じます。