登録文化財について

登録文化財の紹介

樟徳館

登録有形文化財 樟蔭学園「樟徳館」写真

構造:木造瓦葺2階建
建築面積:1305平方メートル

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樟徳館は、材木商の傍ら大正4年(1915年)に森平汽船会社を興し、さらに大正6年には樟蔭高等女学校(現・学校法人樟蔭学園)を設立した森 平蔵が私邸として、昭和初期に建築したものです。

この場所は、大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道)が大正14年に開発を始めた布施巽台住宅地の北寄り部分にあたり、帝国キネマの長瀬撮影所がありましたが、昭和5年(1930年)焼失後、森 平蔵が入手致しました。 
建物には日本各地の銘木が使用され、私邸建築のため、昭和7年頃から全国において銘木の蒐集が行われ、隣地には製材所を設け、原木の製材が行なわれました。 

昭和11年2月に着工し、翌12年5月頃にはかなりの部分の外観が出来上がっていることが当時の建築写真から見ることができます。建物の外観は全て和風となっておりますが、内部は和洋折衷の意匠が混在した点に特色がみられます。木造二階建の母屋は関西で最高といわれる松普請で、仏間や納戸などは杉や檜の銘木で普請されるなど、当時の技術の粋を駆使し、また大阪有数の木材業者であった故人の木に対するこだわりがひしひしと伝わって参ります。昭和7年頃からの構想の時期を入れると、実に7年の歳月を費やして昭和14年に完成した和洋折衷・大正モダンの香り漂う住居です。 
この建物は、森 平蔵が昭和35年6月27日享年85歳で亡くなった後、遺志により樟蔭学園に寄贈され、樟徳館と命名されました。 
平成12年10月に「造形の規範となり、再現が容易でないもの」として、主屋・土蔵・鎮守社・門・東塀・南塀の6点が国の登録有形文化財に登録され、現在は大阪樟蔭女子大学の家政学実習などに使用されています。


記念館

登録有形文化財 樟蔭学園「記念館」写真

構造:木造2階建、鋼板葺
建築面積:449平方メートル

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昭和2年、樟蔭高等女学校が創立10周年を迎えるにあたり、卒業生・在校生保護者・教職員及び一般の寄附を募って前庭に建築され、当初は樟蔭紀念館と呼ばれ、工事費は約10万円でした。
木造2階建寄棟造りで、屋根は鋼板葺(当初は銅板葺)、外側大壁を石造風とする建物で、南に面する玄関は西側寄りにあり、玄関両側は一、二階とも張り出して塔状とし、中央二階屋根は一段あげて切妻破風の腰を折り多角形として、妻に彫刻を施しています。南東隅にも一、二階の窓を張り出して塔状にし、東西にも正面と同様の破風を付けてデザインを変えています。

建物内部は、玄関を入ると吹き抜けの階段スペースがあり、一間幅の木製高欄付き階段により正面と裏側の両方向から、踊り場を介して2階に上るようになっています。建設当初、1階は階段部分を挟んで、東側は図書閲覧室と書庫、西側は事務室として使用しており、2階は東側に270人収容の大教室、西側に会議室兼来賓室がありました。現在は教室などに使用されています。

全体として大正モダンの雰囲気を現在に伝える建造物で、学園のシンボル的な建物として現在に至るまで、多くの卒業生や教職員に愛されて参りました。


樟古館

樟古館(小)の写真樟古館(大)の写真

建築年 大正7年
施工 森川組(森川彌三郎) 
旧洗濯教室(木造平屋建120㎡)
旧試食室(木造平屋建 23㎡)

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大正7年の学園創立時に建てられた木造建築物の中で唯一残っている建物です。
当初は「洗濯教室」と「試食室」という異なる場所に建てられた2棟の建物でした。昭和40年代に入り学園内の多くの建物が鉄筋コンクリート製へと変わっていく中で、創立当時の面影を残す貴重な建物として保存する機運が高まり、昭和44年3月に創立50周年記念事業として現在の場所に移築され「樟古館」と名づけられました。
半切妻屋根とハーフティンバースタイルの外観をもつ瀟洒(しょうしゃ)な建物であり、2棟ともに外壁を真壁として柱や桁・梁・筋交をみせており、外観に洋風を意識した大正期建築の特徴が表れています。
平成19年に、樟蔭学園で3件目の国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
平成27年、100周年記念事業の一環として本格的な曳家(建築物をそのままの状態で移動する建築工法)という工法で移設作業が行われ、旧試食室部分は正門近くに、旧洗濯教室部分は体育館(100年会館)の横に移設しました。
旧試食室の周りには、日本庭園のような庭も完成し創立同時からある“灯篭”や“つくばい”を使用するなど、こだわった造りになっています。