樟蔭学園の歴史

樟蔭学園創立者、森平蔵とは

樟蔭学園の礎を築いた森平蔵は、明治8年9月、兵庫県神東郡(現・神崎郡市川町)において、誕生。その後、明治24年頃には大阪へ出て、市内浪速区幸町の木材商朝田荷蔵商店へ木材の見習い奉公に入りました。

主人朝田荷蔵の薫陶を受け、明治34年、弱冠26歳で大阪市西区北境川において独立開業、以後、木材販売及び植林業を営むようになりました。

爾来、木材を運搬する船舶にも着目し、傭船を駆使して木材流通の効率化を図ったことから莫大な利益を上げ、大正4年には、みずから森平汽船株式会社を創立して取締役社長に就任。折からの海運ブームにより巨万の富を築き、40歳にして「森平(もりへい)さん」と慕われる、押しも押されぬ大阪木材業界の大立者としての地位を確立しました。

一般市民のファッションがまだ着物の時代に、いち早く洋服を取り入れ、自家用自動車に乗るようになったことも、時代の流れをいち早く取り込もうとする新進気鋭のなせるパフォーマンスだったのでしょう。

創立者森平蔵に、女子の中等教育のための学校を創設したいという意欲が、いつどのようにして芽生えたのかは定かではありませんが、大正初期には商家を中心に、自らの子女に中等教育を受けさせたいとの機運の盛り上がりがありましたが、大阪市内における女学校は、数の面から不足感は否めませんでした。

森平蔵は、このような教育界の現状を憂い、私財を投じて大阪市内に私立の高等女学校を設立することを決意し、この熱意を、当時の関西教育界の第一人者であった伊賀駒吉郎先生に打ち明けられたのです。その時の様子を、伊賀先生は後日談として、「大正五年の初夏の一日、森先生は私の住まいを訪ねてこられました。そして、『世界の大戦(第一次世界大戦を指す。)は、自分の如き者にも好機を与えてくれ、多少の財を成すことができました。しかし、これは、世界における日本の地位が自分に味方をしてくれた賜物です。私は、この財産を私物化するに忍びません。自分の現在の財力の許す範囲で社会のために尽くしたいと考えています。これは自分の義務であります。まず、その手始めとして、大阪に完全な私立高等女学校を作りたいと思っています。先生には、ぜひともその一翼を担っていただきたいのです。』とおっしゃいました。その時、私は、森先生が商売人らしくない、別の意味で崇高な考えの持ち主であることを知り、大変感銘を受けました。」と回想しています。伊賀先生が、ただちにこの申出を受けいれたのは、言うまでもありません。

森平蔵は、当初、高等女学校を大阪市内に建設しようと考え校地を求めましたが、すでに繁栄を重ねていた市内には、数千坪以上の土地の手当ては難しく、1年を経過した頃にはやむなく郊外に校地を求めることになりました。このようにして、大正6年6月2日、伊賀先生を伴い大阪府中河内郡布施村大字菱屋西258番地の地を視察した森平蔵は、遂に、この地における学校建設を決断したのです。
開校目標の大正7年4月まで、残された時間は少なく、9月5日には市内北久宝寺町の心斎橋筋に創立事務所を設置して、認可申請の準備や図書・機械器具・校具などの調達、入学願書の受付事務などを行うことにしました。当時でも、周辺の賃借料は目をむくほどの額(小阪の校地取得時の坪単価が3円であったのに比して、月の家賃は250円であったといわれている。)であったといわれていますが、効率よく開校準備を進めるためには、地の利は大事なポイントであったということでしょう。

併せて、校舎の建設も始まりましたが、床面積1,500坪、延建坪約3,000坪に及ぶ壮大な校舎建設のための地鎮祭は9月10日に行われ、木材の調達は設立者自らが産地に赴き即決購入したため、12月4日には上棟式を挙げるところまでこぎつけることができました。その後は、連日数百人の職人による昼夜を分かたぬ突貫工事により、3月中旬には完成をみることになりました。当初、学校の建設資金として、森平蔵が用意した資金は、合計50萬園でしたが、実際に要した費用は、校地取得費・実験実習室・講堂・体操場などの建設費に計35萬5阡園、屋外運動場・庭園の築造・電話電気工事・表門及び橘橋の架橋費用等に13萬6阡園、その他備品、図書費、基本財産や数年間の運営費などに計43萬8阡園を出資したことにより、設立資金は合計93萬園余となり、この全てを設立者が負担したのです。単純に物価価値を換算することは容易ではありませんが、おそらく3,000から5,000倍すると、今の貨幣価値に相当するのではないかと推定します。

「自分の現在の財力の許す限り、社会のために尽くすのが自分の務めである。」との言葉通り、森平蔵はその後も社会的貢献を続け、地元では、東大阪市菱屋西にある元の居宅(現在の樟蔭学園樟徳館・国の登録文化財)は、「もりへいさん」と呼ばれ、今でも地域のランドマークとして位置づけられています。