ゾーンに入る
2021年8月10日
学長 北尾 悟
立秋も過ぎ、暦の上では秋となりましたが、連日猛暑が続いています。この暑さの中、日本選手の頑張りもあり盛り上がったTokyo2020オリンピックが閉幕しました。コロナウイルス感染が拡大する中、賛否両論がありましたが、まずは、競技された選手の皆さんの活躍に感謝するとともに、運営に携わった方々に敬意を称したいと思います。
オリンピックでは多くの競技で熱戦が繰り広げられましたが、私が注目した競技はアーチェリーでした。大学では体育会アーチェリー部に所属していましたので、テレビ観戦しているうちに当時のことが思い出されました。
大学入学前年のオリンピックで日本選手が初めてメダルを獲得しましたが、世間ではどちらかと言うとアーチェリーはマイナーな競技でした。世間知らずでボーっとしたタイプだった私は「競技人口が少ないからすぐに全日本クラスになれる、ひょっとしたらオリンピックも!?」という先輩の甘い言葉に誘われ入部しました。しかしながら、夏にインカレの予選の応援に行った際に選手がズラーっと並び一斉に矢を射る光景を目にして、これはマイナーではない、騙されたと思いました。また前年のオリンピック銀メダリストである道永選手は両親ともにアーチェリー選手で、お父さんは世界選手権に出場した方、そして道永選手は幼少期からずーっと競技をしていたと聞き、愕然としました。
退部しようと思ったこともありましたが、基礎体力をつけるため中長距離を走り(足腰、つまり土台がしっかりしていないと狙い通りに矢は的に当たりません)、真っすぐ右手で引き真っすぐ左肩で押し込むという射型固めの反復練習を繰り返していくうちに、短い距離ですが矢を放つと真っすぐに飛んでいく一瞬に感動し、段々とアーチェリーにはまっていきました。
そして1年生の晩秋、3つの大学の新人だけが出場資格がある小さい規模の競技会、新人戦に出ました。この時の出だしは練習の時よりも調子が悪く、得点が伸びずおそらく全体の真ん中あたりの順位だったと思います。そして中盤あたりに差し掛かってきた時に、なぜか肩甲骨の動く感覚が変わったように思え、それから放たれた矢が気持ちよく的のど真ん中、10金(的の真ん中は金色で9点と10点に分けられ、10金は10点の金的のこと)に刺さるようになりました。その後、放った矢は10金に吸い込まれていくという感覚になり、いつの間にか競技が終わっていました。後半の競技中の記憶は今も思い出せません。気がついたら周りから「6位入賞したよ、おめでとう」と言われました。隣で射っていた他大学の選手からも前半と後半、違う選手かと思った、とも言われました。
今で言う「ゾーンに入った」状態だったと思います。集中力が高まり周りの景色や雑音が遮断され、自分の意識・感覚が研ぎ澄まされ、完全に自分の世界に入り込み予想以上の結果が出たのだと思います。ビジネスの世界では「フロー」という表現もあるようですが、あることに没頭し他のことが気にならなくなり、そのことがとても楽しく、普段ならかなり労力をかけないと達成できないことができる状態になることを指します。こういう状態に何度もなりたいものですが、後にも先にもこの時だけです。社会人になってから新人戦の後半の状態になって仕事に励みたいと念じてみましたが、再びこういう状態に陥ることは、それ以来残念ながらありません。
レスリングの吉田沙保里さんはゾーンに入れないと嘆くある人との対談で「ゾーンに入ろうとするから、ダメなんです」と言っていました。つまり、ゾーンに入ろうと意識すること自体が、競技に対して集中していないことになるということです。意識してはダメなのです。無我の境地になるには、事前の準備が大事だそうです。目標を設定し練習に打ち込む。しっかりと練習を積み重ねてきたという自信が持てれば、内面(精神面)が整いリラックスした状態となり自ずと結果がついてくるとのこと。悩み苦しみながら練習に励み、愚直に継続して取り組むことが重要だということです。
私の場合はそこまで練習したかな、とは思いますが、夏合宿から秋にかけて先輩から「腕の力で弓を引くな。背中で引け。バックテンションを意識しろ」と言われ続け、何やら「バックテンション」という言葉がやたら心地よいフレーズに感じていました。「バックテンション、バックテンション」と呟き、授業をさぼって練習に励んだことを思い出します(そのせいか、ドイツ語と情報処理の単位を落としましたが・・・)。一流選手とは比べ物になりませんが、結果として「プチゾーン」に入る準備をしていたのかな、と思います。
一流選手は「ゾーン」または「フロー」とよばれている心理状態をうまく引き出しているようです。一般人は、そこまで達しなくても、「プチゾーン」「プチフロー」な状態になりたいものです。集中して勉強したい、仕事をしたいと思った際に、私の経験が参考にならないかもしれませんが、何か、意識をするキーワードを呟くということでも良いのではないでしょうか?結局は目的意識を持ち、やり遂げる意義を明確にして実行に移すことが重要です。そして、その行動を継続するうちに喜び、楽しみを覚えることができるのか、基本的にはリラックスした精神状態となることができるのかがポイントとなるでしょう。「プチゾーン」の状態になるには、まずは一歩前に踏み出す、小さな「プチ実行」から始めるしかないと思います。
オリンピックは閉幕しましたが、2週間後にはパラリンピックが開幕します。パラリンピックに出場する選手は今、肉体的にも精神的にも大変な時を過ごしていると思います。選手の皆さんが「ゾーン」に入り、日頃の成果を発揮することを願っています。そしてコロナ感染が落ち着くことも願って。
我が家の柴犬は、最近に庭に出没するヤモリの姿を見たら、炎天下、執拗に追いかけ続けています。彼も「ゾーン」に入っているのかと思いきや、暑いからか時々、クールダウンしています。