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作家への想い~田辺聖子先生の雑誌未掲載中篇より~

2021年12月23日

学長 北尾 悟

 年末となりました。街はクリスマスモード。最近自宅でFMラジオをよく聴いていますが、クリスマスソングが盛んに流れています。今年も昨年同様、コロナに振り回されました。日本では新規感染者数は低く推移してきましたが、オミクロン型という新たな変異ウイルスの感染爆発の兆しが見られます。そうならないことを願うばかりです。

 今月、文藝春秋より田辺聖子先生の「十八歳の日の記録」が発刊されました。これは、今年6月に月刊「文藝春秋」に掲載され話題になった昭和20年4月1日から昭和22年3月10日までの日記(田辺聖子版「アンネの日記」と紹介されている)と6月時には未掲載であった中短篇4作を収録した完全版です。日記記載の時期は、樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)の国文科2年生から卒業までの頃で、太平洋戦争末期、空襲、自宅の焼失、敗戦、父の死と、心身ともに大変なことが起こり、私たちが想像もできない激動の日々を過ごされた頃にあたります。

 今回、未収録の中短篇4作の中に「無題」という中篇作(原稿用紙で150枚に達しようかという作品で、「未完草稿」と記されている)があります。この作品は、日記では昭和20年12月23日と翌昭和21年1月11日の間に掲載されています。当然のことながら戦時中の頃から書き留めていた作品であり、その当時の女子専門学校の国文科生の日常の織りなす様が描かれています。舞台は「翠雲女子専門学校」。「樟蔭女子専門学校」に置き換えて読める内容です。先生や学友の名前は変えていますが、学友同士の語らいや人間関係がリアルに描かれています。少しずつ戦局が悪化していく中、「感想発表会」(トラブルになり途中で中止となりますが)、授業での「感銘を受けた文学作品の披露」、そして「法隆寺見学」あたりは田辺先生の文学や歴史に対する博識ぶりが感じられるとともに、今の時代にも相通じるキャンパスライフ物語として読むこともできます。
 ところが、未完草稿の最終章である第四章は、戦局が更に悪化し、旋盤工場への学徒動員が描かれています。最後には美しい学び舎が空襲により焼け焦げてしまい、何人かの学友とそこで再会し、ぼんやりと立ち尽くすこところで、筆が止まっています。

 この「無題」は、田辺先生が国文科の学生としてイメージしていた理想の学生生活のフィクション(一部はノンフィクションの部分もあったかとは思いますが)と当時厳しくなっていった戦時中のリアルな描写であるノンフィクションが織り交ざった作品です。時には、くじけそうになりながらも、やはり作家としての希望を持ち続けていた心境がにじみ出ています。作家への「想い」。憧れ段階のイメージから実現に向けて挑戦していく、その過渡期の想いが端々に感じられる作品だと思います。
 実は昭和20年12月23日は、田辺先生の父・貫一さんが亡くなった日です。まだ完成していない作品を、お父様が亡くなられた日のあとに掲載しています。心のどこかで何かが脆くも崩れ去ったことが感じられます。この日から年末年始の2週間以上、日記が更新されなかったことからも、心中、察するに余りあるものがあります。しかも記載を再び始めた1月11日の日記には、「あらゆる現実の体験は、人間の頭脳を、その劇(はげ)しさによってうちくだく。」とだけ記されています。

 人の心は繊細です。強い心の持ち主と見える人でも弱い部分があります。特に若い人は経験が乏しいので、ガラス細工のようなものです。しかし、自分で目標をもち、その方向へ向かっていこうとする姿勢を崩さずに前進していく人は、強くなります。その過程では、回り道をしたり後退することもあるでしょう。20211223.jpgしかし、自分のやりたいこと、なりたい自分をイメージして進んでいくことの大切さを、この「無題」という未完草稿とその後の田辺先生の歩んだ道を知ると、そう感じざるを得ません。先人の残した記述を参考にして、今生きる者としての矜持をもって生活したいと思う今日この頃です。

 我が家の柴犬は、お気に入りのぬいぐるみと遊び、腹が減ったらごはんを食べる。この姿勢は崩さず、犬生を前に向かって歩んでいます。

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